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リレー小説
千葉大学文藝部で行っているリレー小説を公開しています。
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DATE: 2013/03/16(土)   CATEGORY: テーマ:月
リレー小説十
3/16更新                 執筆者 ハギワラキオさん

 サトウの視界を占めた暖かな光が、反転、漆黒の闇へと変じる。肌にしみる冷感が消え失せ、全身が温度の無い海中に呑みこまれたような感覚に、五感が覆い尽くされた。地面を踏みしめるはずの両足が、水のような抵抗を返す空間を彷徨う。
 はっと息を呑んだ瞬間、サトウは、肺へ通る感触に再び驚く。若干の重さは感じるものの、呼吸に難は無い。全身を奇妙な浮力が持ち上げ、足先は沈むことなく、ふよふよと漂い続ける。液体とも気体ともつかない不可思議なものの中に、サトウはいるようだった。今自分が来た方向へ腕を振るってみるが、抵抗を感じる他に手に触れる物も無く、出入り口は見当たらない。
 閉塞した暗闇。
 どうすべきか。適当な選択肢が思い浮かばない。
 サトウの脳裏を、「詰み」の予感が過った。一度は死を逃れたものの、その幸運もついに尽き、ここで終わりを迎えるのかもしれない。しかし、サトウの胸中は、恐怖でも動揺でもなく、平穏な静けさに満たされていた。
 それは、諦念に近い。
 この月の海で、武器も仲間も、希望と呼べるものは全て奪われ、残されたのは、運ばかりに縋り続けた、愚かな自分自身のみ。最早、サトウの前に道は示されていないし、それを求める力など、今のサトウには到底、無かった。
 ――――運とは、例えれば月のようなものである。月のように満ち欠けするし、運はツキとも言い換えられるからだ。
 月に来る前の自分が能天気に掲げていた持論を、思い出す。
 運に踊らされ続けた男が、最期を迎えるのは、ツキだというのだから。出来過ぎていて、可笑しな話だった。まるで、因果が、佐藤九號という馬鹿な男を殺しにきたかのようだ。
 無明の中。呼吸をする度、化物に屠られた全身が酷く軋み、無数の傷が熱を帯び疼いて、サトウを苛む。自嘲と後悔の念が浮かび上がった。どうして、こうなったのか。直接的な原因は、那須野の陰謀に違いない。しかし、あの理不尽な敗北を喫した後に、何かを手放してしまったのは、自分自身ではなかったか。
握りしめた右手の平に、固い感触が返る。
一瞬、竹刀を手にしているのかと錯覚するが、指先を滑る金属の滑らかさが、それを打ち消した。カジタから渡された銃を、無意識に握り込んだままだった。それがもう、使い物にならないことは解っている。だが、指が張りついたように銃から剥がれないのだ。そして、離せたとして、ここで捨てていいものではなかった。
混沌としたサトウの思考を、不意に、内臓が浮き上がる感覚が遮る。月の重力がぐるりと向きを変えるのを、肌で感じた。緩衝力に包まれた身体が僅かに、頭の方向へと、沈み込む。
直感的に、この空間が「反転」したのだろうとサトウは理解した。だが、その瞬間に、疑問が脳裏を閃く。不定形のオレンジ色に入って閉じ込められたのだが、もしやここは、動く空間なのか。その疑念に答えるかのように、微かな慣性が、くっとサトウの身を引っ張る。真っ黒な視界に、自分の軌跡をイメージする。移動しているのは違いない。
では、どこに?
自明の結論が出る直前に、浮遊感が生じた。エレベーターで下降するのに似た、緩やかな浮遊感。何も見えず、逆かに浮かぶサトウは、奈落へ真っ逆さまに落下するように思えた。
奈落の、底へ。
今から辿り着く場所も、深遠なる異界の底だった。
再び唐突に、重力の反転が訪れる。その遠心力はそのまま、勢いづいて、サトウの身体を宙へ放り出す力となった。解放感と同時に、闇に慣れた目をオレンジ色の光に刺されながらも、なんとか受け身を取りつつ地面を転がる。
「……くっ」
 地面は何かデコボコとしたもので覆われているらしく、身体のあちこちに擦れた痛みがあった。その上、着地の衝撃が負傷した体内に重く響く。苦々しげに歯を噛み締めながら、サトウはふらふらと立ち上がった。
 ぼんやりと見えるオレンジ色の光が、瞬きをする度、鮮明になる。視界に収まる限りの空間は全て、橙色の輝きを帯びていた。周囲に聳え立つ壁面から隆起した幾つもの大結晶が、光を放ち、辺り一面を煌めくオレンジ色に照らしている。それは、規則的に明滅を繰り返し、月の『海』の大気を、息づくかのように揺らめかせる。穏やかなベールの向こうには、大小様々な石柱群が佇み、辺りに人あらざる秘境のような静けさが満ちていた。
 先程までいた無機質な印象の『海』とは、全くの別物のようだった。非常事態にあっても思わず、サトウは感嘆の言葉の一つや二つを漏らしそうになる。
 が、寸前、疑問の念に取って代わられ、口を閉じた。
 視界に乱立する石柱群は、地球における自然の岩と同様に凹凸に富む形を見せている。だが、その輪郭が何か、不自然なのだ。注視する。最初に、英文字の羅列が読めた。
 マーシャル宇宙飛行センター。
 次いで、サトウの目が、石柱の表面の全容をはっきりと捉える。その文字は、銃の形を成した石柱の凹凸の上に、浮き彫りになっていた。それだけではない。石柱には、リンゴや時計や犬や掃除機や、エッフェル塔や聖書の一文、種類を問わず様々なものの形状が、浮き出ている。地球上に存在するありとあらゆるものを混然と石の形に集約したようなものが、そこに立っていた。視線を走らせれば、並び立つ石柱だけでなく、周囲の壁面や地面も同様に、夥しい数のものの形に占められている。
 強い困惑がサトウの頭を支配する。何だ、ここは。無意識に踏み出した靴先に、足元に突き出た石の一端が引っ掛かった。反射的に視線をやると、拳銃の形状をした結晶である。しかし、そのところどころに金属的な光沢を帯びており、ただの石で出来ているとは、到底思えなかった。
 余りに不可思議な光景に思考が混乱しかけたサトウの耳を、複数の足音が叩く。人のものらしき響きを持ったそれに驚きながらもそちらを見ると、この空間の入り口と思しき通路から、数人の人影が現れた。
 化物達との戦闘で血糊が張りつき異形の爪を受け、ボロボロになったサトウの宇宙服とは正反対に、汚れ一つ無い姿が目についた。その服装が、宇宙服ですらないことも。迷彩柄の軍服に包まれた複数の腕が、一斉に、抱えた長銃をサトウへ照準する。サトウを見据える冷たい眼差しに、サトウは覚えがあった。
「……生存者か。まさか生きてここに辿り着くとはな」
 集団の中心に立つ男が、低く呟く。その瞳を無数の数字群と光が走った。NASAの無人戦闘機、だったか。銃を人に向けておきながら、眉根一つ動かさない無表情が、それを物語る。しかし、中心の男だけは、端正に作られた顔に昏い笑みを浮かべていた。
 まともに反撃は望めないが、せめてもの抵抗に、サトウは敵意を込めた目で相手を睨みつける。
「……あんたらは、」
「我々は、調査隊の『本隊』だ。隊長は、遠隔操作型戦闘機に搭乗した人間である私が担っている。『分隊』が月の『海』の生物を引きつけている間に、人工知能搭載型戦闘機と共に、月の『海』の核の、確実な採取を目的とするチームだ」
 機械で構成された『本隊』のための、人間の『分隊』?
 本末転倒を当然とする恐ろしい考えだった。喉が干上がるような感覚に襲われつつ、サトウは、言葉を絞り出す。良識や常識に縋りつくように。
「……それなら、戦闘機だけで隊を構成すれば、良かったはずだ。何故、人間が必要だったんだ?」
「君は、肉を食べるか?」男はサトウの表情を窺うように首を傾げる。「君は、もしかすると菜食主義者なのかもしれないが、この月の『海』は、生物を食らう。いや、正確には食事行動ではなく、生体防御の一種として、体内に侵入した異生物を殺し、吸収する」
 マクロファージを知っているか、と男は軽い口調で尋ねる。
 人間を含む動物は、大気中に満ちる細菌に侵入されようとも、簡単に蝕まれることは無い。体内に存在するマクロファージが異生物であるそれらを捕食するからだ。
説明されるまでもなく、テレビで見て知っている程度の知識が、サトウの頭の隅で、ある言葉と符号する。
「消滅」。
「君が出会った化物達は、そのマクロファージだ。侵入者は奴らに殺され、月の『海』に取り込まれる。その対象には、生物に限らず機械さえ含まれるが、」男が右手に持つ拳銃の先で、サトウと自分を交互に指し、「生物の優先度が高いようだった」ぴたり、とサトウに銃口を向けて止める。「だから、無事に『海』の深部へ辿り着く手段として、この作戦が取られた訳だ」
 機械の身を借りる男の目が、サトウを映した。
機械の瞳に浮かぶ、機械の無感情より遥かに残酷な人間の非情に、サトウは、ほぼ無意識に首を横に振る。
「……だが、それでも、俺達が」
 「消滅」する理由にはならない。
「いや。作戦には、人間が必要不可欠だった」男の口調が、僅かな興奮を帯びる。「月の『海』は、取り込んだ生物の全てを吸収する。生物の構造から知識までもを。再現し、利用する」男の片手が広げられ、この『海』を、示す。「……ここの化物は、まるで空想上の生物のような姿をしていなかったか? それも当然だ。ここは、人間の頭の中から生まれた世界なのだから」
男の視線がサトウから外れ、『海』の深部全体を見渡す。
 そこには、地球上に存在するあらゆるもの、人間が持ちうる限りの『知識』が、確かに形となっていた。空間中に混沌と犇めくその全てが、月の『海』に取り込まれた人間に基づく産物なのだ。足元に踏み締めているものの悍ましさから逃れるように、サトウはふらりふらりと後退する。しかし、すぐ、背に当たる壁とその感触に弾かれ、行き場を失った。
「我々NASAが月の開発を始めた直後に月の『海』を発見し、調査する間に、月の『海』は、捕食した調査隊員から得た概念を再現し、その利用法を改善し、更なる進化を続けてきた」
 サトウに向けられていた言葉が、独白じみたものと化し、朗々と『海』の深部に響き渡る。男は夢見るような足取りで、サトウと同じくふらりと、しかし前へと足を踏み出す。
「……我々は、『海』の能力を人類のものとすること考えた……別次元を発生させ、地球と同様の環境を創り出し、あらゆる物体を再現する力……それはいまだ研究段階だ。『海』がその最深部にある核によって活動を保つと判り、それを採取する作戦を実行する段階となったところで、それは変わらない」
 石柱群の中程まで歩み寄り、踊るように身を翻す。
「君達は、実験体だった。月の『海』に喰われ、成長の糧となり、我々に『海』のデータを提供するモルモットだ。今後、地球上で『海』の核を利用する参考にするために」
 サトウに再び向けられた男の顔が、狂想の笑みが浮かべた。
 ミス・デイジーの言葉が蘇る。
 あなたがたは、選ばれた犠牲なのです。
 あまりにも不条理に展開する運命に、あるべきでない悪行が罷り通る理不尽に、サトウの目が逃げ場を求め、壁面や石柱に浮き出た『知識』の上を滑る。その中に、一瞬、墓碑銘のように刻まれた「佐藤九號」の名前を見た気さえした。
 脳髄を占める苛烈な拒絶の念が、消滅する。一種の真理めいた考えが、サトウの中心を打ち据えたのだ。
 不条理も理不尽も、何もない。
 ここは、月の『海』。地球の常識が通用しない世界だ。



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DATE: 2013/02/27(水)   CATEGORY: テーマ:月
リレー小説 九
2/27更新                 執筆者 鈴木亮さん

「*#$&+@~~~!」
キメラの叫びを皮切りにして、1体の怪物がサトウに襲いかかってきた。サトウはなんとかかわしたが、すぐに別の怪物から一撃を食らった。
相手の攻撃が妙に弱い。サトウは変だと感じた。すると今度は別の怪物が攻めてきて、サトウの体を柱に打ちつけた。その威力の弱さから、サトウは感づいた。
 ……こいつら、遊んでやがる。

 サトウは怪物たちにもてあそばれた。一発目をかわし、ニ発目をかわしても、いつかは当たってしまう。数が多すぎるのだ。
いよいよ俺の人生も終わりか。サトウは思った。大学を卒業してからの堕落した生活。金目当てで引き受けた仕事。ろくな人生じゃなかったな。まさか全て仕組まれていたとは。
 サトウはこの世の不条理を感じた。しかし今のサトウには怒りや憎しみといった感情はなかった。そこにあるのは、早く終わりにしてくれ、という虚しい感情だけである。そしてサトウはもはや避けるのを止めていた。
 ついにサトウは倒れてしまった。遠のいていく意識の中で、キメラが、もう終わりだと言わんばかりに叫ぶのが聞こえた。そして、怪物たちが一斉に襲いかかってきた。サトウは死を受け入れ、目を閉じた。


 ……時が止まったかのような静寂が訪れた。サトウが恐る恐る目を開けると、そこには怪物たちの姿はなく、先ほどの戦闘が嘘のようである。そして、どういうわけか、神殿の柱がオレンジ色に光っているのだった。
 突然の、そしてほんの一瞬の出来事にサトウは困惑した。やつらはどこへ行ったのだろうか。そしてこの光る柱は一体何なのか。
 ここは異次元の月の海。何が起こるか見当もつかない場所だ。悪いことだけでなく、良いことも起こるだろう。絶体絶命で万事休すな状況からの形勢逆転。これもあり得なくはない。しかし今起こったことは、サトウには出来過ぎているような気がした。

 サトウは立ち上がった。体は痛むが、動けないほどではない。神殿の柱は柔らかいオレンジ色に輝いていて、この空間全体が暖かく感じられる。サトウが柱に触れると、指の先から暖かさが伝わってきた。まるで朝が来たようだ。サトウはそう感じた。
 これからどうすればいいのか。サトウは目前に広がる幻想的な空間を眺めながら考えた。正直言うと、もう地球へ帰りたかった。武器も仲間も失って、たった一人で何ができようか。サトウは途方に暮れた。

 サトウは考えた。ここでまた奇跡を待っていてもしょうがない。任務を遂行すること、すなわち海の深部へ侵入し、宝石を手に入れること。生きて帰るためにはこれ以外方法はない。そして、死んでいった仲間のためにも。こう決心すると、サトウは一際輝く神殿の中心へと向かって歩いていった。


 神殿の中心に着くと、そこには周りのものより少し太い四本の柱があり、その真ん中に大きなオレンジ色のものが浮いていた。それはぼやけていて質量のある物体のようには見えず、まるでオレンジ色の霧が球体の形で漂っているようである。
 サトウが手を触れようとすると、手はその中へと吸い込まれた。内側はこちら側とは違ってひんやりとしている。どうやら中へ入ることができるようだ。サトウは驚きもしなかった。何が起こってももはや不思議ではない。そう思うと、サトウは躊躇せずに中へと入っていった。



 NASA日本支部。
「こちら1986-DSMR2。目標は海の深部へ侵入しました」
「そうですか。わかりました」
「次に本部からのメッセージが一件あります。再生しますか」
「お願いします」
「了解しました。……『君のおかげで全ては計画通り順調に進んでいる。この調子で頼む』……以上でメッセージは終了です」
「わかりました」
那須野はそう言うと、窓から明るい望月を眺めた。
「計画通り? いいえ、未来は誰にもわからないものですよ」

 外では、夏の虫が街灯の光に群がっていた。



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DATE: 2013/02/12(火)   CATEGORY: テーマ:月
リレー小説 八
2/12更新                 執筆者 ごりごりごりっPさん

 一体どれほどの時間が経っただろう。鳥型の怪物との鮮やかな戦闘で自信を深めたものの、その後は新たな怪物との接触はない。怪物の返り血で染まった宇宙服が未だ強烈な臭いを放っていることを考えるとおそらくまだ数時間しか経っていないのだろうが、その間ずっと壁に挟まれた一本道しか見ていないサトウにとって、それは一週間にも一ヶ月にも感じられた。
しかし、永遠に続くかに思われた道の終焉は突如訪れた。サトウの前に不意打ち気味に現れた、広大な空間。目算で数百メートル四方はあろうかというその広間には、無数の太い支柱が張り巡らされている。
神殿のようだな、とサトウは思った。
「ヒュー、広いねぇサトウさん!」
カジタの歓喜の声を無視して尋ねる。
「デイジーさん、ここは一体どこなんだ?」
「データにありません。が、おそらくここが海の中心部であると推測されます」
 サトウはその言葉に一縷の望みを見出した。海の中心に到達したという事実。自分達の通ってきた道は偶然にも「当たり」の道だったのかもしれない。そう思うと自然に胸の内から安堵感が込み上げてくる。
 ミス・デイジーが遠くで本部へ連絡をしている間、サトウは久しぶりにカジタと二人きりになった。目の前の柱にせっせと目印を刻み込むカジタの背中を見ていると、サトウの心に一つの疑問が浮かぶ。一瞬躊躇するが、十分に打ち解けた今なら聞いてもいいだろうと判断した。
「アンタ、さっきは面白そうだからここに来たって言ったけど、あれ本当は嘘だろ」
 カジタの背中がびくりと震えたが、構わずに続ける。
「アンタ自衛官なんだろ? そんなエリートが命を懸けてまで『冒険』だなんて、悪いが俺は納得できない。しかも大事な銃まで持参してりゃ、尚更な。……俺は金が無いからここに来ざるを得なかった。アンタも、何かあったんじゃないのか?」
 カジタは答えない。重苦しい沈黙の後、彼は取り繕うように大袈裟に笑う。
「はははっ! ……さぁ、どうだろうねサトウさん? だけどさっきも言っただろ? 俺が今ここにいる理由は、このチームのためだ。例え始めの理由が何だったとしてもな」
 サトウは何も言わずに首肯した。何故だろう。金のためなら切り捨てるつもりだった男の一言にこんなにも安心し、気を許してしまう。
「サトウさん、危ないっ!」
 だからこそ、前回は気付いた視界の歪みに気付くことができなかった。
 カジタに突き飛ばされた直後、サトウの眼前に透明な何かが来襲する。衝撃でカジタから託された銃が遥か後方に弾け飛び、同時にカジタのものと思われる真っ赤な液体が床の薄緑と混ざった。

 未だ姿の見えない敵に対し、サトウは考えるよりも先に斬りかかっていた。先手必勝! しかし、結果はサトウの考えている通りにはならなかった。サトウの手に痺れる感覚だけを残し、NASA製の日本刀は切っ先から砕けたのだ。更に、突然現れた黒い鞭がサトウの体を薙ぎ払う。
 踏まれた小枝のような音を立てて吹き飛んだサトウの元に、足音が近づく。マンモスの牙のような爪に、セラミック装甲のような鱗。キメラだ。ただし、前回よりも遥かに巨大な。
キメラは必死に後ずさりするサトウをよそに、一歩、また一歩と距離を詰める。そして終に、怪物はその歩みを止めた。餌を目前にして荒くなった鼻息が顔にかかり、サトウはギュッと目を瞑る。もう逃げられない。
目を閉じたサトウの耳に一発の銃声、続いてキメラの咆哮が轟いた。憤怒を剥き出しにしたキメラがゆっくりと振り返る。サトウも恐る恐る目を開け、そして驚愕した。
キメラの視線のその向こう、右脇腹を抉り取られてもなお、その男は悠然と立っていた。
「カジタ!」
二発目の銃声とともに怪物は標的に向けて猛然と走り出した。
「サ、サトウさん……逃げろっ!」
「でもっ……!」
「彼に従うことを推奨します。体勢を立て直さなくては」
いつの間に戻っていたのか、ミス・デイジーがサトウの言葉を遮る。
「くそっ……! すまん、カジタ!」
 サトウはカジタの銃を拾い上げ小脇に抱えると、渋々デイジーの後に従った。

「早く武器を出してくれ!」
「あいにく、手持ちの武器は私の装備品のみです」
 カジタがいる場所から百メートル程離れた柱の陰から戦況を見つめつつ、ミス・デイジーは抑揚のない声で応える。
「それでいいから! 早く貸してくれ!」
「了承できません」
「なんだと? カジタが殺されそうなんだぞ! 早くしろっ!」
「あの脇腹の傷は致命傷です。おそらくあと……」
 話すだけ無駄だ。サトウはカジタの銃を強く握り締め、立ち上がる。
「その壊れかけの銃一丁でどうするつもりですか?」
ミス・デイジーの言葉はサトウの耳に届かない。自らの決意を確認し、柱の陰から一歩足を踏み出した。その時だった。ピシッ、という不吉な音とともに銃身を走る、一本のひび。希望の弾が、滑り落ちた。

 助けられなかった。自らの不甲斐なさに、自然と頬を熱いものが濡らす。サトウはそれを堰き止めようともせず、音もなく慟哭した。長い長い沈黙ののち、先に口を開いたのはミス・デイジーだった。
「現時刻をもってチームβの離脱、および新チーム結成の任務に移行します」
「……どういう意味だ? まさか、俺を置いていくのか?」
「申し訳ございませんが、これは任務です。その円滑な遂行のために時として、囮が必要となるのは致し方ないことなのです」
 囮……まさか自分に対してこのような言葉が使われる日が来るとは。あまりに現実味のない響きに、サトウは思わず身震いした。それでもミス・デイジーは容赦なく続ける。
「そもそもあなた方は、このミッションのために選ばれた犠牲なのです。」
 犠牲? 選ばれた? 嫌な汗が背中を伝う。
「未知の生物に太刀打ちし得るスキルを持ちながら、このような危険なミッションに参加せざるを得ない弱みを持つ人物。そんな都合の良い人材はそうそう見つからないでしょう。ならば、作ればよいのです」
「どういう意味だ」
「あなたは何故堕落した生活を送るようになったのか、そして何故お金に執着するようになったのか。思い出してみてはいかがでしょうか」
 掲げられた三本の赤旗。困惑の色を浮かべた対戦相手。そして不敵に笑う審判共の顔。一年前の、あの光景が頭をよぎる。まさか……。
「あの決勝戦は、お前らが仕組んだのか?」
「全て日本支部の那須野様の計画です」
 最早サトウは自嘲することしかできなかった。彼の掌の上でいかに華麗な舞を披露したのか考えるだけで、乾いた笑いが込み上げてくる。
「……二人で助かる方法は無いのか?」
「シミュレーションα、二名で脱出を試みる場合。二名の内どちらか、或いは両名共に脱出できる可能性7.53%」
「シミュレーションβ、ミスタ・サトウを囮として私のみ脱出を試みる場合。緊急脱出用プログラム・エアウォークが使用可能となり、私の脱出成功率は71.84%、対して……」
「もういい、やめてくれ」
 耐え切れず、話を断ち切る。自分が死ぬ確率なんて聞きたくもない。ただ、サトウにはもう一つだけ確認すべきことがあった。
「カジタも……弱みを握られていたのか?」
 ミス・デイジーは無言で首を縦に振った。やはりそうだったのか……。
「いいのか? こんな重大な秘密を俺に漏らして」
「現在は情報にロックがされていません。本部の情けでしょう。何故なら……シミュレーションβにおけるあなたの『機能停止』確率は、99.92%ですから」
 そう言うと、ミス・デイジーは腰から小型の小銃を引き抜き、真上の天井を打ちぬいた。透明な膜が溶け、瓦礫が轟音と共に崩れ落ちる。この瞬間、こちらの居場所はあのキメラに知れただろう。
ミス・デイジーは最後にもう一度サトウの方に向き直る。
「先程のキメラの他にもう6体、こちらに向かってくる未確認物体があります。……ご武運を」
 そう告げる顔がサトウにはほんの少しだけ、悲しそうな表情に見えた気がした。機械にまで同情され、サトウは自分がつくづく運が無い男なのだなと思い知らされる。
 いや、違うな。これはサトウの心の弱さが招いたことなのだ。全てを運任せにし都合の悪いことから逃げ続けた、自身の心の。
 ミス・デイジーが腰を深く落とし、天井に向けて跳躍した途端、足の裏が青白く発光した。そして彼女はそのままゆっくりと上昇し、穴の向こうへと消えて行った。
 獣が喉を鳴らす音が聞こえた。周囲を見渡せばいつの間にか先程のキメラ、さらに異形の怪物たちがサトウを見据えている。
「ははは……」
どうやらスーカンツでも出ない限り、生きてこの勝負からは上がれないようだ。つまり、ここにはもう一縷の望みも無い。
月の海の中心。金のためなら何でもすると誓った男は、仲間も武器も全て失い、たった一人になった。



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DATE: 2013/01/21(月)   CATEGORY: テーマ:月
リレー小説 七
1/21更新                 執筆者 河東皐月さん

『本部から1986-DSMR2へ』
『こちらDSMR2』
『先ほど、お前から緊急事態時の信号を当方が受信した。何があった?』
『……はい。排除対象の未確認物体と戦闘中の隊員二名を発見し、双方武器ロスト、隊員の死亡は必至と判断、援護攻撃としてパターンαを開放しました』
『懸命な判断だ。より効率的に対象を排除せよ』
『はい。隊員二名とともに新グループを結成しました。以後、行動を共にします』
『分かった。ただ、お前はあくまで観察者だ。その二名の隊員との共同戦闘が不可能なような事態になれば、そのときは……分かっているな?』
『……はい、マスター。プロジェクトの迅速な完遂のため、グループβを離脱、新たなグループ結成に尽力いたします』
『尽力ではない。死力を尽くせ』
了解、と発信した後、ミス・デイジーは本部との通信を止めた。ミス・デイジーの後ろにはカジタとサトウが続く。二人の間には、『海』到着直後とは違い、緊張が張りつめていた。いつキメラ級の怪物が出てくるか分からない。『気を抜けば死ぬ』、そんな武士道のような文言が絶えず、脳に、神経に、精神に、警告していた。

 「未確認物体発見。前方数十メートル」
空気が張りつめた。カジタは予備の銃があることを確認する。サトウは日本刀を握り直した。
「俺が奴をギリギリまで引きつける。そこまでくればコッチのもんだ。命中率隊トップの俺だ。狙ったら逃さないぜ。サトウさん、アンタ、銃は使えるか?」
「ガキの頃に、エアガンやったくらいだが……」
「ハハハ! 実弾とBB弾じゃあ全然違うぜ! 今後のためだ。近距離ばかりじゃ太刀打ちできねえ奴も出てくるかもしれねえ。練習あるのみだぜ。ほら!」
カジタは、ひょいと肩にかけていた小銃をサトウに投げた。サトウは、小銃を受け取り、ハンドガンサイズのものかと思っていたので、その大きさと形状に目を丸くした。サトウが渡された小銃を好奇な目で見ていると、銃口とは反対の端の方に”kazita”と白く書かれているのを見つけた。
「そいつは、俺が入隊当初から使っていた銃だ。地球だと、重量感があって持ち運びも容易じゃねえんだが、月ってのは面白いねえ。ここじゃあ片手で投げられちまうくらい軽いんだぜ!」
サトウは人の心が容易に理解できるほど器用な男ではなかった、が、カジタが言わんとしていることは、不器用なサトウでも理解できた。そんだけアンタを信頼している、と。
「……おっと、笑ってる場合じゃねえな」
サトウは視線を前方に移す。相変わらず遠くまで見渡せるこの不愉快な殺風景の中に、こちらへゆっくりと近づいでくる、一体の巨大生物が、いた。
「私が分析する限り、対象はキメラほどではありませんが、体長は……五,六メートル。ですが、飛行可能です。気を抜かないで下さい」
「「言われなくても分かってるぜ」」

「来るぞ!」
大きな図体から翼が現れた。翼を広げ、一回、二回と大きく翼を扇ぐ。ゆっくりと一行に近づき、周りを旋回する。その姿が、目に映った。孔雀のような羽をもち、胴体は薄緑と黄色が波打っている。まるで金の粉をまき散らしながら、優雅に飛び回る鳥のようであった。
「……綺麗だな」
サトウが思わず呟いた。
「サトウさん、ボケっとしてないで、援護してくれ! あくまで今は奴を引きつけるための弾だ。あんま弾を無駄にしないでくれよ」
サトウは、慣れない手つきながら、銃口をそれに向ける。ミス・デイジーも武器を銃に変え、それに向ける。まず、カジタが一発打ち上げた。すると、銃声に気づいたのか、素早い動きで頭をカジタに向け、突っ込んできた。
「ギリギリまで縮めて……。スリー、ツー、ワン! 今だ撃て!」
三名はそれ目がけ、射撃を集中させる。連射! 連射! 鳥のようなそれは、血しぶきを撒きながら数メートル前方に落下した。
「よし! サトウさん後は頼んだぜ!」
サトウは頭を縦に振り、腰から日本刀を抜いた。
「これでしまいだぁぁぁぁぁぁああ!」
サトウは鳥のようなそれの頭を一刀のもとに切り裂き、止めとばかりに頭に刀を突き刺した。
サトウはそれが息をしていないのを確認した後、ミス・デイジーとカジタのもとに向かった。
「素晴らしいです、お二方。あの物体はなかなかに手ごわい相手と分析していましたが、こうも早く排除することができるとは……」
「俺も、ここまでうまくいくとは思わなかったが……。アンタたちのおかげかな」
「いえ、私が撃った弾は五十四発。その半分は外れました。しかし、カジタの撃った弾は二百発を超えます。しかも命中率は九十五%を超える。数値からみて、私が今回の戦闘でさほど貢献していないのは明らかですが?」
「……いや、そういうことじゃないんだがな。調子狂うなあ全く。せっかく感謝してるんだからよ、あれこれ口出すもんじゃねえよ」
「そういうものなのでしょうか? 私には感情というものがインプットされておりませんので……」
「じゃあ、データにでも書き加えておくことだ」
ポン、とカジタはミス・デイジーの頭に手を乗せた。
 「なあ、サトウさん」
カジタは意を決した面持ちで、サトウに振り向く。
「アンタ、このプロジェクトに参加した動機って金のためだって、前言ってたよな」
「……ああ。それがどうかしたか?」
「それだけってのはおかしくないかね」
「お前に言われたくはない」
「ハハハ、違いないねえ~」
いつもの気の抜けた表情をしながら、カジタは笑う。
「このチームのため、ってのはどうだ? グループじゃなくてチーム、な」
「は?」
サトウはカジタの突拍子もない言葉に呆然とする。
「そのままの意味さ。俺さ、このチームは最強だと思うんだ! 向かうところ敵なしだろ!」
「まあ確かに……」
「金とかさあ、そういう自己満だけじゃあモチベーションあがらんっしょ。金のために死んだっていうより、仲間のために死んだっていったほうがかっこいいだろ~」
「お前、死ぬ気なのか」
カジタはこれまでの気の抜けたような表情から一転し、目つきを鋭くし、表情を硬くした。
「死ぬ気はない。死ぬ気で生きるさ。ただ、もし、万が一にでも、死ぬようなことあれば、自分のためにでなくアンタらのために死にたい」
今までに見たことのないカジタの真っ直ぐな目を見て、サトウはそれが冗談ではないことを悟った。
「カジタ。俺はお前が思うほど仲間思いの、精神の清らかな人間じゃない。金のためなら、何でもできる自信がある。お前を裏切ることも。だが、今、ほんの少しだけ、お前の言っていることも悪くないとも思ってる。……死ぬのは御免だが」
「ハハハ! それでこそアンタらしい答えってもんだ!」
 二体の怪物を倒した後、三名の結束は固くなったように思われた。
しかし、ここは月の『海』。常識の通用しない世界。物語はいよいよ終幕へと向かう――。


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DATE: 2013/01/05(土)   CATEGORY: テーマ:月
リレー小説 六
1/05更新                 執筆者葛もちさん

シャトルが月への着陸準備に入る直前まで遡る。その時、アームストロングは地球上での出来事を反芻していた。

「今回の、作戦には賛同しかねます」
 アームストロングは、テレビモニタ越しの三人の人物へ意見を伝える。内容は、月の海に関する件である。理由を尋ねられたため、彼はそれを答えた。
「一つは、『海』の中にはレゴリスが見当たらない。また、重力、空気の酸素濃度が地球上のそれとほぼ等しい。私は、それに作為的なものを感じます」
 一息吐いて、言葉をつづける。
「そして、先遣隊からの連絡が約5日後には途絶えた点です。今では、生死すらわかりませんが……彼らに関する情報を解析してからでも遅くはないかと」
 NASAの極秘プロジェクトとはいえ、二の轍を踏むこと。なにより、殊更に人の命をないがしろにする真似は避けたかったためだ。
「それは、君の私見にすぎないだろう」
老年の男性が、怒気を孕んだ言葉を放つ。モニタ越しでありながら、射抜くような青い目。自然と空気は張り詰め、自身の手は冷たいにも関わらず、汗ばんでいた。
「君は、なにか勘違いをしてはいないかね」
 次いで言葉を放つのは、銀縁メガネのインテリ然とした男。
「これは、人類の偉大な一歩となるものに他ならない。多少の犠牲は目を瞑るべきだろう」
 その言葉に、唇を噛む。こちらを一瞥し、二人の男は通信を一方的に切る。
「なにが、人類の偉大な一歩だ。他国に先を越されるのを恐れているだけだろう」
 アームストロングは、言葉を愚痴る。
「そう言いなさんな、彼らも必死なんですよ」
彼に言葉をかけたのは、日本支部の那須野だった。二人は同期であるため、自然と雰囲気は砕ける。
「しかし、上の方々は不祥事をもみ消したがるものなんですね」
辟易といった素振りをしながら那須野は呟いた。
「どういうことだ?」
漠然となにかを感じた彼はモニタ越しに詰め寄る。
「実は、先遣隊のデータは既にまとめられているんです。それで、生物を確認できました」
「どういった生き物だったんだ?」
「それがですね……」
間を空けて焦らす那須野を半眼で見つめる。
「そんな眼でみないでくださいよ、恐いな。端的に言うと怪物……でしょうか。画像を送りますよ」
送られてきた画像には、緑色の膜を背景に棍棒を手にした人のような生き物が写っている。だが、顔の中央に大きな眼が一つであった。
「ちなみに、大きさは5mほどあるそうです」
その言葉に、深いため息が出ただけだった。
「……どうして俺に教えた」
しばらくした後に、口にしたのはそれだった。
「どうせ、近い内にわかることです。もっとも、オブラートに包んだ形になるとは思いますが……」
再度、ため息を吐く。ふと、気になったことを尋ねてみる。
「そういえば、君の選んだ生贄は誰なんだ」
「生贄とは、時代錯誤ですね。カジタというエリート。それとサトウという民間人です」
その言葉に、自然と顔が強張る。
「民間人……正気か?」
その問いかけに、那須野はニンマリとした笑みで肯定して言葉を続ける。
「ええ、正気です。彼は民間人ではありますが、腕は確かです。現代に生きる侍といったところでしょうか?」
「サムライとは、それこそ時代錯誤だな。」
そんな言葉を交わしながら、さらに情報を引き出そうと試みるが那須野にかわされていった。
「ところで、いいワインが入ったんです。よかったら、一杯やりませんか。」
 結局、その言葉に追求をやめて、彼はニンマリとした笑みを浮かべる。
「ぜひ頼む、そうだな……月から帰ったらやるとしよう。まだまだ聞きたいこともあるしな」


 そんな回想は、警告音により妨げられる。
「着陸準備に移行できない……だと……」
着地時点直前にまで、迫った時であった。機械類に不備はない。
なにかに、吸い込まれていくようであるため、着地態勢へと移行することができないのだ。
「悪いな、那須野。約束は果たせそうにない」
それが、アームストロングの最後の言葉となった。



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