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リレー小説
千葉大学文藝部で行っているリレー小説を公開しています。
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DATE: 2013/03/16(土)   CATEGORY: テーマ:月
リレー小説十
3/16更新                 執筆者 ハギワラキオさん

 サトウの視界を占めた暖かな光が、反転、漆黒の闇へと変じる。肌にしみる冷感が消え失せ、全身が温度の無い海中に呑みこまれたような感覚に、五感が覆い尽くされた。地面を踏みしめるはずの両足が、水のような抵抗を返す空間を彷徨う。
 はっと息を呑んだ瞬間、サトウは、肺へ通る感触に再び驚く。若干の重さは感じるものの、呼吸に難は無い。全身を奇妙な浮力が持ち上げ、足先は沈むことなく、ふよふよと漂い続ける。液体とも気体ともつかない不可思議なものの中に、サトウはいるようだった。今自分が来た方向へ腕を振るってみるが、抵抗を感じる他に手に触れる物も無く、出入り口は見当たらない。
 閉塞した暗闇。
 どうすべきか。適当な選択肢が思い浮かばない。
 サトウの脳裏を、「詰み」の予感が過った。一度は死を逃れたものの、その幸運もついに尽き、ここで終わりを迎えるのかもしれない。しかし、サトウの胸中は、恐怖でも動揺でもなく、平穏な静けさに満たされていた。
 それは、諦念に近い。
 この月の海で、武器も仲間も、希望と呼べるものは全て奪われ、残されたのは、運ばかりに縋り続けた、愚かな自分自身のみ。最早、サトウの前に道は示されていないし、それを求める力など、今のサトウには到底、無かった。
 ――――運とは、例えれば月のようなものである。月のように満ち欠けするし、運はツキとも言い換えられるからだ。
 月に来る前の自分が能天気に掲げていた持論を、思い出す。
 運に踊らされ続けた男が、最期を迎えるのは、ツキだというのだから。出来過ぎていて、可笑しな話だった。まるで、因果が、佐藤九號という馬鹿な男を殺しにきたかのようだ。
 無明の中。呼吸をする度、化物に屠られた全身が酷く軋み、無数の傷が熱を帯び疼いて、サトウを苛む。自嘲と後悔の念が浮かび上がった。どうして、こうなったのか。直接的な原因は、那須野の陰謀に違いない。しかし、あの理不尽な敗北を喫した後に、何かを手放してしまったのは、自分自身ではなかったか。
握りしめた右手の平に、固い感触が返る。
一瞬、竹刀を手にしているのかと錯覚するが、指先を滑る金属の滑らかさが、それを打ち消した。カジタから渡された銃を、無意識に握り込んだままだった。それがもう、使い物にならないことは解っている。だが、指が張りついたように銃から剥がれないのだ。そして、離せたとして、ここで捨てていいものではなかった。
混沌としたサトウの思考を、不意に、内臓が浮き上がる感覚が遮る。月の重力がぐるりと向きを変えるのを、肌で感じた。緩衝力に包まれた身体が僅かに、頭の方向へと、沈み込む。
直感的に、この空間が「反転」したのだろうとサトウは理解した。だが、その瞬間に、疑問が脳裏を閃く。不定形のオレンジ色に入って閉じ込められたのだが、もしやここは、動く空間なのか。その疑念に答えるかのように、微かな慣性が、くっとサトウの身を引っ張る。真っ黒な視界に、自分の軌跡をイメージする。移動しているのは違いない。
では、どこに?
自明の結論が出る直前に、浮遊感が生じた。エレベーターで下降するのに似た、緩やかな浮遊感。何も見えず、逆かに浮かぶサトウは、奈落へ真っ逆さまに落下するように思えた。
奈落の、底へ。
今から辿り着く場所も、深遠なる異界の底だった。
再び唐突に、重力の反転が訪れる。その遠心力はそのまま、勢いづいて、サトウの身体を宙へ放り出す力となった。解放感と同時に、闇に慣れた目をオレンジ色の光に刺されながらも、なんとか受け身を取りつつ地面を転がる。
「……くっ」
 地面は何かデコボコとしたもので覆われているらしく、身体のあちこちに擦れた痛みがあった。その上、着地の衝撃が負傷した体内に重く響く。苦々しげに歯を噛み締めながら、サトウはふらふらと立ち上がった。
 ぼんやりと見えるオレンジ色の光が、瞬きをする度、鮮明になる。視界に収まる限りの空間は全て、橙色の輝きを帯びていた。周囲に聳え立つ壁面から隆起した幾つもの大結晶が、光を放ち、辺り一面を煌めくオレンジ色に照らしている。それは、規則的に明滅を繰り返し、月の『海』の大気を、息づくかのように揺らめかせる。穏やかなベールの向こうには、大小様々な石柱群が佇み、辺りに人あらざる秘境のような静けさが満ちていた。
 先程までいた無機質な印象の『海』とは、全くの別物のようだった。非常事態にあっても思わず、サトウは感嘆の言葉の一つや二つを漏らしそうになる。
 が、寸前、疑問の念に取って代わられ、口を閉じた。
 視界に乱立する石柱群は、地球における自然の岩と同様に凹凸に富む形を見せている。だが、その輪郭が何か、不自然なのだ。注視する。最初に、英文字の羅列が読めた。
 マーシャル宇宙飛行センター。
 次いで、サトウの目が、石柱の表面の全容をはっきりと捉える。その文字は、銃の形を成した石柱の凹凸の上に、浮き彫りになっていた。それだけではない。石柱には、リンゴや時計や犬や掃除機や、エッフェル塔や聖書の一文、種類を問わず様々なものの形状が、浮き出ている。地球上に存在するありとあらゆるものを混然と石の形に集約したようなものが、そこに立っていた。視線を走らせれば、並び立つ石柱だけでなく、周囲の壁面や地面も同様に、夥しい数のものの形に占められている。
 強い困惑がサトウの頭を支配する。何だ、ここは。無意識に踏み出した靴先に、足元に突き出た石の一端が引っ掛かった。反射的に視線をやると、拳銃の形状をした結晶である。しかし、そのところどころに金属的な光沢を帯びており、ただの石で出来ているとは、到底思えなかった。
 余りに不可思議な光景に思考が混乱しかけたサトウの耳を、複数の足音が叩く。人のものらしき響きを持ったそれに驚きながらもそちらを見ると、この空間の入り口と思しき通路から、数人の人影が現れた。
 化物達との戦闘で血糊が張りつき異形の爪を受け、ボロボロになったサトウの宇宙服とは正反対に、汚れ一つ無い姿が目についた。その服装が、宇宙服ですらないことも。迷彩柄の軍服に包まれた複数の腕が、一斉に、抱えた長銃をサトウへ照準する。サトウを見据える冷たい眼差しに、サトウは覚えがあった。
「……生存者か。まさか生きてここに辿り着くとはな」
 集団の中心に立つ男が、低く呟く。その瞳を無数の数字群と光が走った。NASAの無人戦闘機、だったか。銃を人に向けておきながら、眉根一つ動かさない無表情が、それを物語る。しかし、中心の男だけは、端正に作られた顔に昏い笑みを浮かべていた。
 まともに反撃は望めないが、せめてもの抵抗に、サトウは敵意を込めた目で相手を睨みつける。
「……あんたらは、」
「我々は、調査隊の『本隊』だ。隊長は、遠隔操作型戦闘機に搭乗した人間である私が担っている。『分隊』が月の『海』の生物を引きつけている間に、人工知能搭載型戦闘機と共に、月の『海』の核の、確実な採取を目的とするチームだ」
 機械で構成された『本隊』のための、人間の『分隊』?
 本末転倒を当然とする恐ろしい考えだった。喉が干上がるような感覚に襲われつつ、サトウは、言葉を絞り出す。良識や常識に縋りつくように。
「……それなら、戦闘機だけで隊を構成すれば、良かったはずだ。何故、人間が必要だったんだ?」
「君は、肉を食べるか?」男はサトウの表情を窺うように首を傾げる。「君は、もしかすると菜食主義者なのかもしれないが、この月の『海』は、生物を食らう。いや、正確には食事行動ではなく、生体防御の一種として、体内に侵入した異生物を殺し、吸収する」
 マクロファージを知っているか、と男は軽い口調で尋ねる。
 人間を含む動物は、大気中に満ちる細菌に侵入されようとも、簡単に蝕まれることは無い。体内に存在するマクロファージが異生物であるそれらを捕食するからだ。
説明されるまでもなく、テレビで見て知っている程度の知識が、サトウの頭の隅で、ある言葉と符号する。
「消滅」。
「君が出会った化物達は、そのマクロファージだ。侵入者は奴らに殺され、月の『海』に取り込まれる。その対象には、生物に限らず機械さえ含まれるが、」男が右手に持つ拳銃の先で、サトウと自分を交互に指し、「生物の優先度が高いようだった」ぴたり、とサトウに銃口を向けて止める。「だから、無事に『海』の深部へ辿り着く手段として、この作戦が取られた訳だ」
 機械の身を借りる男の目が、サトウを映した。
機械の瞳に浮かぶ、機械の無感情より遥かに残酷な人間の非情に、サトウは、ほぼ無意識に首を横に振る。
「……だが、それでも、俺達が」
 「消滅」する理由にはならない。
「いや。作戦には、人間が必要不可欠だった」男の口調が、僅かな興奮を帯びる。「月の『海』は、取り込んだ生物の全てを吸収する。生物の構造から知識までもを。再現し、利用する」男の片手が広げられ、この『海』を、示す。「……ここの化物は、まるで空想上の生物のような姿をしていなかったか? それも当然だ。ここは、人間の頭の中から生まれた世界なのだから」
男の視線がサトウから外れ、『海』の深部全体を見渡す。
 そこには、地球上に存在するあらゆるもの、人間が持ちうる限りの『知識』が、確かに形となっていた。空間中に混沌と犇めくその全てが、月の『海』に取り込まれた人間に基づく産物なのだ。足元に踏み締めているものの悍ましさから逃れるように、サトウはふらりふらりと後退する。しかし、すぐ、背に当たる壁とその感触に弾かれ、行き場を失った。
「我々NASAが月の開発を始めた直後に月の『海』を発見し、調査する間に、月の『海』は、捕食した調査隊員から得た概念を再現し、その利用法を改善し、更なる進化を続けてきた」
 サトウに向けられていた言葉が、独白じみたものと化し、朗々と『海』の深部に響き渡る。男は夢見るような足取りで、サトウと同じくふらりと、しかし前へと足を踏み出す。
「……我々は、『海』の能力を人類のものとすること考えた……別次元を発生させ、地球と同様の環境を創り出し、あらゆる物体を再現する力……それはいまだ研究段階だ。『海』がその最深部にある核によって活動を保つと判り、それを採取する作戦を実行する段階となったところで、それは変わらない」
 石柱群の中程まで歩み寄り、踊るように身を翻す。
「君達は、実験体だった。月の『海』に喰われ、成長の糧となり、我々に『海』のデータを提供するモルモットだ。今後、地球上で『海』の核を利用する参考にするために」
 サトウに再び向けられた男の顔が、狂想の笑みが浮かべた。
 ミス・デイジーの言葉が蘇る。
 あなたがたは、選ばれた犠牲なのです。
 あまりにも不条理に展開する運命に、あるべきでない悪行が罷り通る理不尽に、サトウの目が逃げ場を求め、壁面や石柱に浮き出た『知識』の上を滑る。その中に、一瞬、墓碑銘のように刻まれた「佐藤九號」の名前を見た気さえした。
 脳髄を占める苛烈な拒絶の念が、消滅する。一種の真理めいた考えが、サトウの中心を打ち据えたのだ。
 不条理も理不尽も、何もない。
 ここは、月の『海』。地球の常識が通用しない世界だ。



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